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「始まったジェノサイド研究」信濃毎日新聞 【文化欄】(2004年(平成16年)5月5日)
「シンポジウム『平和構築と地域研究』に参加して」教養学部報 Vol. 481 (2005年2月9日)
■「傷癒せ 民も動く ― 集団殺害・戦争から復興へシンポ」朝日新聞【国際欄】8面
                                     (2006年4月1日、3,756KB 朝日記事

■「始まったジェノサイド研究」、信濃毎日新聞 【文化欄】(2004年(平成16年)5月5日)

始まったジェノサイド研究

  ジェノサイド( genocide= 民族殺りく)は、ギリシャ語で種族を表す genos と、ラテン語で殺害を表す cide を組み合わせた言葉だ。悲しいことだが、現在の国際社会を語る上で不可欠な用語となった。

  かつてポーランド出身のユダヤ人法学者ラファエル・レムキンが国際犯罪としてこの造語を提唱し、一九四八年に国連総会が「ジェノサイドの防止および処罰に関する条約」を採択した時、人々の念頭にあったのはナチスドイツによる凄惨(せいさん)なユダヤ人大虐殺であった。「こんなひどいことは二度と繰り返してはならない」。そう言われたのである。

 しかし、その後もジェノサイドは繰り返された。昨年、ジェノサイドなどの大罪を犯した個人の責任を追及する国際刑事裁判所(ICC、日本は未署名)がオランダのハーグで活動を始めたが、予防が実を結ぶためには国際法・司法機関の整備だけでなく、ジェノサイドそのものの要因を学問的に明らかにすることが緊要である。

発生要因、予防の枠組み、社会への影響と復興

  昨年十二月、日本学術振興会が始めた新事業「人文・社会科学振興のためのプロジェクト研究事業」のコア研究の一つに、「ジェノサイド研究の展開」が採択された。この研究は、ジェノサイドを実証的に解明し、その比較研究を通してジェノサイドの発生要因とメカニズムを究明しようとするものである。そして、その成果を基に予防に向けた理論的枠組を構築し、併せてジェノサイドがもたらす社会変容の分析と事後復興(処罰、補償、和解、教育など)の可能性を追究する。

 三月二十七日、同プロジェクトの第一回国際シンポジウム「ジェノサイド研究の最前線」が東京大学駒場キャンパスで開催され、二十世紀前半に起きた三つの「歴史的ジェノサイド」−第一次大戦下のオスマン帝国におけるアルメニア人虐殺、第二次大戦下「クロアチア独立国」で民族浄化の名の下に実行されたセルビア人虐殺、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺−が報告された。私はこれらを比較検討し、共通する要因として、「国民国家」の形成・再編、民族の強制移住、総力戦と独裁体制の確立、優生思想と科学者の関与などを指摘した。

 今回のシンポジウムでは、日本でこれまでほとんど知られていないアルメニア人の追放から虐殺への過程と、「バルカンのアウシュヴィッツ」と呼ばれるクロアチア・ヤセノヴァツ強制収容所群の詳細が明らかになった。アルメニア人虐殺に関しては、その事実を認めないトルコからの参加者と報告者との間の応酬があり、ジェノサイド問題のアクチュアリティを感じさせる一幕となった。

 今秋には、カンボジア、グアテマラ、ルワンダなど開発途上国における「現代ジェノサイド」の比較研究とシンポジウム、さらには関東大震災直後の朝鮮人、中国人虐殺をテーマとするワークショップなどを開催する予定だ。

学問領域を超えた取り組みを

 ジェノサイド研究はわが国の人文・社会科学においては未開拓の領域に属するが、世界の平和構築に向けて国際貢献が強く求められている現在、既存の学問領域の壁を越えて積極的に取り組むべき課題と言えよう。

 

石田勇治

東大大学院助教授(ドイツ現代史)
1957年京都市生まれ
「ジェノサイド研究の展開」代表
著書に「過去の克服」、編著に
「ドイツ 外交官が見た南京事件」など

(時事通信社、配信)

 

■「シンポジウム『平和構築と地域研究』に参加して」、 教養学部報 Vol. 481 (2005年2月9日)

 

教養学部報 Vol. 481  2005 年(平成 17 年) 2 月 9 日   

シンポジウム『平和構築と地域研究』に参加して   
                  

斎藤文子
東京大学大学院総合文化研究科
地域文化研究専攻助教授
ラテンアメリカ文学専攻

 20 世紀は「文明と民主主義」の時代であるとともに「戦争と虐殺」の時代であった。それは 21 世紀になっても引き継がれ、ジェノサイド(大虐殺)は世界各地で頻発し、おびただしい数の人たちが犠牲になっている。なぜ、どのような条件でジェノサイドは起きるのか。人類はどうすれば、これを防ぐことができるのか。

 こうした問いかけをもって、 12 月 4 日土曜日、 10 時半から夕方 6 時半すぎまで 8 時間余りにわたって、本学総合文化研究科地域文化研究専攻第 12 回シンポジウム『平和構築と地域研究』が学際交流ホールで開催された。主催は本専攻と日本学術振興会「ジェノサイド研究の展開」( CGS )、また共同主催として総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム( HSP )とドイツ・ヨーロッパ研究室( DESK )、および国際交流基金が加わった。日英同時通訳付きで行われた。

 シンポジウム全体は 3 つのセクションに分かれ、おもに理論的な枠組みが提示された第一セッション「地域紛争から平和構築へ」、具体的なジェノサイドの事例が報告された第二セッション「ジェノサイドと(和解) アジア・アフリカ・ラテンアメリカの事例から」、コメントと討論の第三セッション「平和構築をめざして」という構成で進められた。第一セッションの司会を務めた者として、シンポジウムの概要を以下報告させていただく。

 口火を切ったのは、このシンポジウムのために来日したデヴィット・コーエン氏(カリフォルニア大学バークレー校、戦争犯罪研究センター代表)である。国際刑事司法の立場から、何をジェノサイドと呼ぶのか、どのような条件でこの圧倒的暴力が発生するのかについて、ドイツ、ユーゴスラビア、ルワンダ、カンボジアの例を比較検討した。ジェノサイド発生の背景にはその地域の、経済的発展段階とは無関係に、強い組織力と、敵・味方を分けるイデオロギーの強制があることを強調した。

 2 番目の報告は、シンポジウム企画当初、グアテマラ国立考古学民族博物館のフェルナンド・モスコソ氏がグアテマラの事例を紹介する予定で、準備が進められていた。ところが直前になってビザがおりないという事態が生じ、来日が不可能になった。そのため、グアテマラで活動を続ける石川智子氏(日本ラテンアメリカ協力ネットワーク)が、ジェノサイド後の復興、とりわけ夫を失った女性たちのトラウマを克服する試みについて報告した。会場のスクリーンに映し出された犠牲者の秘密墓地の写真は衝撃的であった。

 3 人目の報告は、弁護士であり、国連カンボジア暫定統治機構人権担当官の経験をもつ佐藤安信氏(名古屋大学)であった。ジェノサイドのメカニズムを理解し、それを防止するには、地域研究がきわめて重要であること、現場主義によって紛争当事国の人々の眼差しを共有する努力が必要であることを訴えた。

 お昼休みをはさんで、五人の報告が続いた。武内進一氏(アジア経済研究所)は、ルワンダのケースを取り上げ、国民和解という美名のもとで行われる裁判や追悼行事自体が、時の政治権力に左右され、政治色性を帯びていることを指摘した。天川直子氏(アジア経済研究所)は、カンボジア、ポル・ポト時代の負の遺産について、検討すべき課題は山積していることを述べた。また西芳実氏(本学大学院総合文化研究科)は、インドネシア、アチェ紛争における、和解・話し合いのプロセスの進展を明らかにし、最後の報告者、狐崎知己氏(専修大学)は、グアテマラ内戦下のジェノサイドと和平協定後の展開について述べた。

 短い休息後の第 3 セッションでは、黒木英充氏(東京外国語大学)、古谷旬氏(北海道大学)、寺谷広司氏(本学大学院法学政治学研究科)、上岡直子氏(ワシントン・ D ・ C 、ワールド・ラーニング)、柴宜弘氏(本学大学院総合文化研究科)の 5 名がそれぞれの立場からコメントを述べた後、フロアーからの質問を受けた。虐殺の命令を下した幹部が法廷で裁かれていないのではないか、せっかく着手された和平プロセスがしばしば急激に崩れてしまうのはなぜか、紛争は大きな国際関係のなかで捉える必要があるのではないか、平和構築に名をかりた内政干渉になることをどう考えたらよいか、といった問題にそれぞれの報告者が答えた。スウェーデンやカンボジアからの研究者、弁護士も議論に参加し、終了予定時刻を 40 分過ぎても討論は尽きることなく、 8 時間を超えるシンポジウムの熱気は、会場を変えて行われた懇親会に引き継がれた。たいへんに重いテーマであったが、それだけに、司会者の 1 人として参加者の熱意を共有できたことは貴重な体験であった。