創設シンポジウム
「ジェノサイド研究の射程」

日程・会場他

・日時: 2003年12月13日(土) 14:00〜17:00
・場所: 東京大学駒場キャンパス アドミニストレーション棟3階 第3‐4会議室

プログラム

◇挨拶: 中井和夫(東京大学)
◇司会: 川喜田敦子(東京大学)
■報告@: 佐原徹哉(明治大学)「世界史の中の民族浄化」 
■報告A: 竹内進一(アジア経済研究所)「ルワンダのジェノサイドが提起する諸問題」 
■報告B: 石田勇治(東京大学)「ジェノサイドの定義と研究の射程」 
◇プロジェクト概要説明 石田勇治

報告要旨
報告@: 佐原徹哉
報告A: 竹内進一
報告B: 石田勇治

主催:
■「ジェノサイド研究の展開」(CGS)

 

佐原氏報告@: 佐原徹哉(明治大学)
「世界史の中の民族浄化」

本報告の趣旨は、ジェノサイドおよび民族浄化 ethnic cleansingと呼ばれる諸現象を巡る議論を整理し、両概念の関係を整合的に理解するための指針を提起することである。

ジェノサイドとは何かという議論は石田報告に譲ることとした上で、まずは民族浄化がいかなる現象であるかを確定してみたい。民族浄化とは 1992年から1995年のボスニアの内戦で登場し、国際ジャーナリズムで用いられはじめた言葉であり、当初、その意味するところは、ボスニア内戦で発生した残虐行為総体を概述するものであった。しかし、次第にユーゴ内戦の文脈を離れた人道に対する犯罪のある種のカテゴリーと見なされるようになり、時代も地域も異なるが類似した現象にも当てはめられつつある。

民族浄化を一般化しようとする議論の一つの方向は、これを特定の責任主体による意図的計画的体系的政策とみなすものであり、これを狭義の民族浄化と呼ぶこととしたい。こうした議論の代表的なものは、「旧ユーゴスラヴィアの領域内で行われたジュネーブ条約及びその他の国際的人権法に対する重大な侵害」を調査するために国連事務総長が任命した専門家委員会が 1994年4月に提出した報告書が与えて規定であろう。ここでは民族浄化を次のように定義している。

「民族浄化」とは、あるエスニック・グループもしくは宗教集団が、別のもう一つのエスニック・グループ、もしくは宗教集団に属する民間人を暴力、もしくは、恐怖を喚起する手段を用いて、一定の地理的領域から排除しようとする 意図的な政策 ( purposeful policy)である。かなりの程度、これは 間違った民族主義 (misguided nationalism)歴史的苦情、そして、強力な報復意識を口実に行われている。

しかしながら、こうした限定的な見方は、民族浄化の持つ多くの問題点を捨象してしまう可能性を孕んでいる。典型的な民族浄化と考えられているボスニア内戦での残虐行為は、特定の責任主体による組織的な行為だけでなく、 隣人もしくはローカルなコミュニティ内部での草の根的な虐殺・追放・略奪も含まれており、後者の方がむしろ民族浄化の特質であった。つまり、民族浄化は、政府や民族主義政治勢力が支持するまでもなく、民衆が自発的に執行するというポグロム性をもっているのである。また、 民族浄化は主たる責任主体とされるセルビア人の特異な民族主義思想の産物でもない。 コソヴォのアルバニア人によるセルビア人への民族浄化やクロアチアでのセルビア人への民族浄化に典型的に現れているように、民族浄化とは一方的な虐殺・迫害ではなく、被害者が同時に加害者になりうる双方向性をもっている。民族浄化はむしろ一般的なナショナリズムと親和性を持っており、国民国家建設運動そのものの構成要素であったとすら言える。民族浄化がナショナリズムと強い相関性を持つことは、この現象が国民国家強化の一手段として出現することからも分かる。 1922年のギリシア・トルコ間の住民交換、1946-8年の東欧各国からのドイツ人追放、1980年代前半のブルガリアの「民族復興プロセス」といった現象は現在では民族浄化の一形態としてとらえるべきだと主張されている。こうしたことから、 民族浄化とは、エスニックな特性によって定義された民族が国家主権の基礎となるという国民国家理念に基づいて、こうした国家を建設、強化、維持、拡大するために、その現実、もしくは潜在的な領土となる領域から、主権民族の構成員以外の人々を、強制力を行使しつつ排除する行為であるといえる。

では、このように定義された民族浄化はジェノサイドとどのような関係にあるのであろうか。これまでこの点に関しては三つの議論が提起されている。その一つは、民族浄化をジェノサイドの一形態と見るものである。この立場をとる論者たちは、ジェノサイド条約にある「(集団の)全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること」を援用し、この規定には「 暴力や恐怖を喚起する手段によって、ある一定の領域から追い出」すことが該当するという立場をとっている。 しかし、この議論は、追い出す主体に追い出される集団を抹殺する意図があったことを立証しなければならないという技術的な困難さを内包しているだけでなく、ギリシア・トルコの住民交換やポツダム宣言後のドイツ人追放のような民族浄化は主権国家裁量の一部として容認してしまうという問題点を抱えている。

第二の議論は、民族浄化はジェノサイドとは全く異なるものであるとするものである。こうした立場をとる論者は、ジェノサイドとはホロコースト/ショアーのことであり、ユダヤ人を完全に殲滅しようする特殊で例外的な出来事であるが、民族浄化は、特定の条件の下ではどこでも共通に起こりうる一般的な出来事であると考えている。こうした議論の問題点は、ホロコースト特殊論であることにくわえて、排除と殲滅の質的差異をどのように規定するかが曖昧であることだ。

第三の議論は、民族浄化の特殊な形態がジェノサイドであると見るものである。これは、殲滅とは特定の領域からの追放の延長線上にあるものであり、追放が困難である場合、もしくは追放するための外部の領域を確保できない場合に民族浄化がジェノサイドという形態をとると見る考え方である。この議論は、ホロコーストがナチスの到達目標であったのか、総力戦情況の中から選びとられた選択肢であったのかとも重なるものである。

この三つの議論のどれを採用すべきかはひとまずおいて、上記の議論で検討されていない可能性について付言しておきたい。上記の三議論は民族浄化とジェノサイドを他方を一方の部分集合と見るのか、全く無関係と見るのかという側面だけで展開されている。しかし、民族浄化とジェノサイドは相互に重なりあいながらも同時に無関係の側面ももっているとは考えられないだろうか。つまり、民族浄化はジェノサイドの特質である殲滅を内包しつつもそれ以外の追放・排除というレベルの暴力の方が圧倒的に大きな位置を占めている一方、ジェノサイドもナショナリズムと排外主義の延長戦上に展開される暴力という側面を持ちつつも、科学技術の進歩に伴う大量破壊兵器の出現と大量虐殺技術の考案によって可能となったという与件が無視できないのである。前者の場合は、住民交換のような主権国家や国際社会の承認の下で行われた行為が問題となり、後者の場合は原子力爆弾や毒ガスの使用などが検討対象となろう。

ここでは、四つの議論のどれを是とすべきかの判断は保留するが、今後、比較ジェノサイド研究の一環として民族浄化を検討して行く際にはこれらの議論を念頭に置く必要があると考える。それによって、民族浄化、ジェノサイドの双方の概念的有効性を高めて行くことができるであろうし、現代世界における暴力と権力、とりわけ国家権力の意味を問い直す作業にも貢献しうるのではないか。

参考文献

Carmichael, Cathie, 2002, Ethnic Cleansing in the Balkans, Nationalism and the Destruction of Tradition, London: Routledge

Bell-Fialkoff, Andrew, 1993, “ A Brief History of Ethnic Cleansing, ” Foreign Affairs , Summer, pp. 110-121

Eminov, Ali, 1997, Turkish and Other Muslim Minorities of Bulgaria , London: Hurst & Co.

Hayden, Robert, 1996, “ Schindler's Fate: Genocide, Ethnic Cleansing, and Population Transfers, ” Slavic Review , 55/4, pp.727-748

Jalumov, Ibrahim, 2002, Istorija na turskata obshtina v Bulgarija, Sofia: IMIR

McCarthy, Justin, 1995, Death and Exile, the Ethnic Cleansing o Ottoman Muslims, 1821-1922, Darwin Press: New Jersey

Mulaj, Klejda, 2003, “Ethnic Cleansing in the Former Yugoslavia in the 1990s” (Vardy, & Tooley 2003), pp.93-712

Naimark, Norman, 2000, Ethnic Cleansing in Twentieth Century Europe , Seattle: University of Washington

OSCE, 1999, Second Assessment of the Situation of Ethnic Minorities in Kosovo , September, 1999 .

Pentazopoulos, Dimitri, 1962 (rep. 2002), The Balkan Exchange of Minorities and its Impact on Greece , London: Hurst & Co.

Petrovi?, Dra?en, 1994, “ Ethnic Cleansing - An Attempt at Methodology, ” European Journal of International Law , 5/3, 342-359

Preece, Jennifer, 1998, “Ethnic Cleansing as an Instrument of Nation-State Creation,” Human Right Quarterly , 20, 817-842

Sahara, Tetsuya, 2001, “Balkan Nationalism After 1989”, Acta Slvacia Iaponica , 18, pp.117-144

Simsir, Bilal, 1986, Bulgaristan Turkleri, Ankara: Bilgi Yayinevi

UN.Commission of Experts, 1995, The final report on the evidence of grave breaches of the Geneva Conventions and other violations of international humanitarian law committed in the territory of the former Yugoslavia,

http://www.ess.uwe.ac.uk/comexpert/REPORT_TOC.HTM

UN. General Assembly, GA Res.47/121 (1992), http://www.un.org/documents/ga/res/47/a47r121.htm

Vardy & Tooley, 2003, “Ethnic Cleansing in History,” in: Vardy, Steven & Hunt Tooley eds., Ethnic Cleansing in 20th-Century Europe , N.Y.:Columbia U.P. 1-10

清水明子、 ---- 、「クロアチア『祖国戦争』( 1991-95 )と『民族浄化』」、『虐殺の社会史』、慶応大学出版会

 

武内氏■報告A: 竹内進一(アジア経済研究所)
「ルワンダのジェノサイドが提起する諸問題」

報告では、 1990 年代にルワンダで起こったジェノサイドをめぐって提起されている議論を整理した。ルワンダでは、 1994 年 4 月 6 日のハビャリマナ大統領搭乗機撃墜事件を契機として、3ヶ月足らずの間に 50 万〜 80 万人が虐殺された。これは、当時のルワンダ総人口の約1割にあたり、主として虐殺の対象となったエスニック集団トゥチはその4分の3が殺害されたと言われる。ルワンダのエスニック集団は、人口の 8 割強を占めるフトゥ、 1 割強を占めるトゥチ、約1%のトゥワという3つに分けられる。しかし、いずれも言語や居住地を同じくし、今日では、かつては差があったとされる生業面でもほとんど差がない。エスニック集団間の通婚も一般的に観察される。

このジェノサイドは世界の注目を集め、ルワンダをめぐる現実政治の動向とも相まって、現在に至るまで様々な議論がなされている。そうした議論を整理すると、解明すべき多くの課題を含む、5つほどの論点が浮かび上がる。

第1に、ジェノサイドの原因に関わる議論である。ここでは、植民地体制下におけるエスニシティーの変容に関わる問題が大きい。植民地統治下においてトゥチ・フトゥ関係は大きく変容し、個々人のエスニックな帰属が明確化されるとともに、集団間の区分が厳密化された。それがエスニック集団を単位とする敵意や反目を醸成し、植民地期末期には、トゥチを中心とする政党とフトゥを中心とする政党との権力闘争を契機として、エスニック集団間の暴力的衝突を生んだ。この時、植民地当局の政治的、軍事的支援を背景として、フトゥの政党が新生独立国家の権力を握り、多数のトゥチが国外に難民として逃れた。彼らの第二世代が 1990 年にウガンダから侵攻してきたために内戦が勃発し、それが 4 年後のジェノサイドへと繋がるのである。

第2に、殺戮の手法に関わる問題である。ルワンダのジェノサイドについては、一般大衆が多数参加し、農民がナタを持って殺戮を遂行したとの理解が流通している。しかし、公刊された文書資料や聞き取りから状況を再検討すると、民間人が殺戮に関与した例もあるにせよ、多くの場合、軍や警察が近代的武器を持って殺戮を実践したことがわかる。また、殺戮の動員に際して重要な役割を担った民兵組織は、一党制時代に由来するものであった。殺戮実践の方法は、ポスト・コロニアル国家の構造と密接に関連している。

第3に、国際社会の関与に関わる問題である。ルワンダのジェノサイドは内戦の結果として起こったが、和平協定の締結、 PKO の展開(およびジェノサイド時におけるその撤収)、さらにルワンダ国際刑事裁判所の設立に至るまで、国際社会は一貫してルワンダに関与し、政治状況に影響を与えてきた。その役割の解明や評価は、非常に重要な論点である。

第4に、ルワンダのジェノサイドが、周辺国や国際社会に与えた波及効果である。ルワンダのジェノサイドに引き続いて起こった大量の難民流出は、隣国コンゴ民主共和国(ザイール)で内戦を惹起し、 30 年以上続いたモブツ体制を崩壊させた。また国際社会に対しては、ジェノサイドに対する有効な介入ができなかったという「贖罪意識」を蔓延させ、それが虐殺後に成立した RPF (ルワンダ愛国戦線)への同情的な雰囲気を醸成させた。それは、 RPF が犯した戦争犯罪に対する沈黙の背景をなしたといえる。

そして第5に、ジェノサイドという未曾有の人道的悲劇の後で、いかに国家や社会を再建するのかという問題である。ルワンダのジェノサイドに関しては、裁判を通じた国民和解が目指さされており、ルワンダ国際刑事裁判所、ベルギー国内法廷、ルワンダ国内法廷、さらには農村で裁判を行う「ガチャチャ」など、様々なレベルで裁判が実施されている。しかし、現在まで RPF 側の戦争犯罪が裁かれたことはなく、こうした裁判が国民和解を可能にするのか、なお不透明である。

以上のようにルワンダ虐殺をめぐる議論から論点を抽出してみると、それが歴史学、国際関係論、政治学、法律学など、様々な学問領域にまたがることは明白である。ジェノサイドをめぐる諸問題は多様な学問領域にまたがり、それらを架橋する重要な研究課題だと言えよう。

 

石田氏■報告B: 石田勇治(東京大学)
「ジェノサイドの定義と研究の射程」

はじめに

 私の報告は、ジェノサイドの定義と研究の射程・課題に関するものである。第1セッションの趣旨に照らし、定義について詳しく見て、研究の射程・課題については簡単にすませたいと思う。

 ギリシャ語で民族、種族を表す genos と、ラテン語で殺害を表す cide を組み合わせたジェノサイドはすでに人口に膾炙した言葉といえる。ポーランド出身のユダヤ系国際法学者ラファエロ・レムキンがこの言葉の生みの親とされているが、ジェノサイドはれっきとした国際法上の概念である。1948年の国連総会で採択された「ジェノサイド条約」と1998年の国際刑事裁判所規程( ICC 、ローマ規程)において明確な定義が与えられている。

 本研究ではこの定義を重視する。しかし、この定義を尊重するがあまり、研究の視野を狭めたくないという思いもある。というのは、この定義は−処罰概念なので当然ではあるが−かなり狭くとられていて、われわれのように裁判官でも検察官でもない研究者にとっては窮屈、つまり事柄の歴史的背景や進行過程、結果をさまざまな要因と関連づけて考える場合、この定義だと議論がしにくくなると思うからだ。その点については後段で触れるが、そもそも国際法上の ジェノサイド概念が歴史的実態に相応しいものかどうか、本研究は実証研究の立場 から改めて検討したいと思う。

 

@「人道に対する罪」との違い

 2002年に発効した ICC ロ ーマ規程を見ると、ジェノサイドは「人道に対する罪」、「戦争犯罪」、「侵略の罪」とならぶ国際法上の犯罪概念であることがわかる。(配布資料を参照のこと)実はICCローマ規程のジェノサイドの定義は、1948年の「ジェノサイド条約」での定義を踏襲したものである。それだけ言うと、この間法概念の発展がなかったかに聞こえるが、ICCローマ規程ではジェノサイドの定義を変更しないかわりに、これまで国際法上不十分な定義しか与えられてこなかった「人道に対する罪」を明確化することで、ジェノサイドを「人道に対する罪」等の犯罪から区別し、特別な犯罪に位置づけ直したといえる。

 ジェノサイドを定義したICCローマ規程第6条は次の通り。

この条約においてジェノサイドとは、 国民的 national 、民族的 ethnical 、種族的 racial または宗教的 religious な集団 を、 全部または一部、 それ自体として破壊する意図 をもって行われる次のいずれかの行為をいう。

(a) 集団の構成員を殺すこと。

(b) 集団の構成員に重大な肉体的または精神的な危害を加えること。

(c) 集団の全部または一部の身体的破壊をもたらすことを意図した生活条件を故意に集団に課すこと

(d) 集団内の出生を妨げることを意図した措置を課すこと。

(e) 集団の子どもを他の集団に強制的に移すこと。

 これをICCローマ規程で新たに定義された「人道に対する罪」と比較すると、処罰行為の面で共通点の多いことがわかる。では違いはどこにあるのか。

 第一の違いは、ジェノサイドは国民的、民族的、種族的、宗教的集団の四つを特定の被害集団としているのに対し、「人道に対する罪」は「文民たる住民」(一般住民、民間人)を対象としている点である。第二の違いは、ジェノサイドは上記四集団に対し、それぞれその「全部または一部を破壊する意図」をもって行われる行為としているのに対し、「人道に対する罪」にはそのような限定がない点である。

 以上まとめると、ジェノサイドは表面上「人道に対する罪」と重なるように見えるが、行為の矛先が特定の4集団に向かう点、そしてその行為が「集団の全部または一部の破壊の意図」を有する点で「人道に対する罪」と区別される。

 

A処罰行為について

 次に (a) 〜 (e) の処罰行為を具体的に見てみよう。

(a) の「集団の構成員を殺すこと」は殺人のことであり説明は不用。 (b) の 「集団の構成員に重大な身体的または精神的な危害を加えること」には、拷問、強姦などの性的暴力、麻薬の強制使用、身体切断の他、これらよって集団構成員にトラウマを与えることが含まれる。 (c) の 「集団を破壊するための生活条件を故意に課すこと」には、飲料水、衣食住、医療サービスなど集団の身体的生き残りに必要な資源を故意に奪うことが含まれる。さらに生活維持手段の奪う行為として、収穫物の没収、食糧供給の封鎖、収容所での拘留、強制移住、砂漠への追放などが該当する。 (d) の 「出生を妨げることを意図した措置」には、強制断種、強制中絶、結婚の禁止、出産を阻止するための長期にわたる男女隔離が含まれる。 (e) 「子どもの移送」には、直接的暴力によるものだけでなく、暴力に対する恐怖、心理的抑圧など有形無形の強制力による移住が含まれる。

こうしてみると、ジェノサイドの処罰行為には、単に集団構成員を殺害したり、死の原因をつくりだしたりする行為だけでなく、身体や精神への危害、出生阻止、子どもの強制移送など−それらが集団の一部または全部を破壊するための政策の一部として行われる場合−も含まれる。

さらに五点、ポイントを補足しよう。

 一、ジェノサイドを計画し教唆することは、たとえそれが犯行開始の前であっても犯罪となる。またジェノサイドを扇動、支援したりすれば同様に犯罪である。

 二、「集団の全部または一部を破壊する意図」の存否がジェノサイドであるか否かを分けるが、これをどう証明するかについては、例えば声明(文)や命令(文書)によって直接的に証明されることもあるが、行為者の、一連の組織だった体系的な行動様式から推定される場合もある。

 三、ジェノサイドは、それがどのような動機や目的−政治的、経済的、文化的、社会的、軍事的動機:例えば、権力の安定、反対派の弾圧、人的・物的資源の搾取、国土開発、文化的一元化、領土保全、治安の確保、戦争遂行など−によるものであれ、上記四集団の全部または一部の破壊の意図をもって行われれば、ジェノサイドとなる。実際、ジェノサイドはそれ自体を自己目的として行われるケースはまれで、ほとんどのケースが何らかの別の動機、目的の下に行われている。ジェノサイドを認定するさい、それらの動機や目的は問われない。

 四、「集団の全部または一部の破壊」については、集団全体を破 壊しなくても、集団の一部−例えば政治的、宗教的指導層、知識人の殺害、あるいはある特定地域の住民集団−だけを破壊する場合でも、ジェノサイドとなりうる。犠牲者数では、たった一人が殺された場合でも、行為者自身に集団破壊の企てに関与している自覚があれば、行為者はジェノサイド犯となる。

 五、行為者についての定義はない。国家であれ、組織であれ、集団または個人であれジェノサイドの行為主体に なりうる。

 冒頭で国際法上のジェノサイド概念の狭隘さを指摘したが、これまでの説明でむしろ広いと感じた方も多いと思う。それではなぜ狭いと申し上げたのか、次に国際法上のジェノサイド概念の問題点を考えたい。ここでは2点、つまり対象集団と処罰行為に焦点をしぼり、「広義のジェノサイド概念」を提唱したい。


B広義のジェノサイド―行為者による恣意性

 まず、ジェノサイドの被害集団について考えよう。

 ジェノサイド条約成立時から現在まで、被害集団に政治的集団つまり政治信条や帰属政党を理由に危害を加えられた集団を含めるか否かが争点のひとつとなっている。これは、第二次大戦直後のジェノサイド条約草案段階では含まれていたが、ソ連の反対で実現しなかった。これについてはICCローマ規程でも修正されていない。

 私見によれば、ジェノサイドの行為者は一見、所与の人間集団を破壊するように見えるが、実際は破壊すべき集団のカテゴリーを自らつくり出すことが多い。例えば、ナチ・ドイツのホロコーストの場合、ユダヤ人はユダヤ人という理由で根こそぎ殺されたように見えるが、実際はナチの恣意的な定義によって殺害されるべきユダヤ人が特定された。(「完全ユダヤ人」、「四分の一ユダヤ人」などの用語はそれを雄弁に物語っている。)またナチ体制下では、「反社会的分子」というカテゴリーがつくられ、そこに属すとされた人間集団が犠牲になった。つまり、ジェノサイドには行為に先だち行為者による対象集団の恣意的な定義が行われることがある。

 こうした行為者による恣意性に着目した法律が、1994年に制定されたフランス新刑法である。

現在、ジェノサイドは「ジェノサイド条約」を批准した135の国の多くで国内法化されているが、フランス新刑法は画期的なものである。(日本は、批准はおろか署名もしていない)その第211−1条を引用しよう。

 

第211−1条(ジェノサイド)

i) 国民、民族、人種もしくは宗教上の集団又は その他すべての恣意的な基準によって定められる集団の構成員 に対して、その全部又は一部を根絶することを目的とする謀議に基づき、次に掲げる行為をすることは、ジェノサイドとする。

1 生命に対する故意による侵害

2 身体的又は精神的な完全性に対する重大な侵害

3 集団の全部又は一部の根絶をもたらす性質を有する生存条件に服させる行為

4 出産を妨げることを目的とする処置

5 子どもの強制的移送

ii) ジェノサイドは無期懲役で罰する

 ジェノサイドの定義に恣意的基準を盛り込んだフランス新刑法は本研究の前提となろう。行為者による恣意性を踏まえると、先にあげた四集団以外のさまざまな集団がジェノサイドの対象として想定しうる。例えば、政治的集団の他、スターリン体制下で犠牲となったクラークなどの社会的階層、ナチ体制下の「反社会的分子」(常習犯、ホモセクシュアル、労働忌避者など)、戦時下・内戦下の「抵抗分子」、「パルティザン」なども検討の対象に入ってくる。


C広義のジェノサイド―「文化的ジェノサイド」

 ジェノサイド条約制定過程では、処罰行為を先の (a) 〜 (e) の5つ(これはフランス刑法でも同じ)に限ったことに異論がだされており、ジェノサイド条約草案には処罰行為として、特定集団に対する「身体的ジェノサイド physical genocide 」(殺人、大量殺戮、生存を不可能にする生活条件の強制、人体実験など)、「生物学的ジェノサイド biological genocide 」(強制断種、強制中絶、両性隔離、結婚禁止)と並んで「文化的ジェノサイド cultural genocide 」が掲げられていた。前の2つは最終的に表現を改め、 (a) 〜 (e) 5つの行為として採用されたが、「文化的ジェノサイド」は不採用となった。その理由は、関係国の植民地支配が問題視されることを恐れたためである。

 ところで条約起草者は「文化的ジェノサイド」として何を念頭においていたのだろうか。草案は、子どもの強制移送、知識層の強制出国、国民言語の使用禁止、国民言語による書物や宗教書の組織的破壊、歴史的宗教的記念碑の破壊、文化財や歴史文書の破壊などの行為を「文化的ジェノサイド」にあたると規定している。

「文化的ジェノサイド」はICCローマ規程でも排除されたが、本研究ではあえてこれをジェノサイドの一形態として位置づけようと思う。

 ◎本研究では、国際法で定義されたジェノサイドを「狭義のジェノサイド」として、また国際法上は定義されていない「文化的ジェノサイド」と、行為者が対象集団を恣意的に設定するケースを「広義のジェノサイド」とよび、双方を研究対象とする。 (●表1参照) 本研究はこうして研究の射程を広げると同時に、国際法上のジェノサイドとその他の犯罪の境界領域に光をあて、ジェノサイドとその他の現象の連関を究明しようとする。

 

D戦争とジェノサイド

 境界領域の事例として、「戦争とジェノサイド」というテーマ設定が可能である。

 これまでの研究で、戦争とジェノサイドは別個のものとして議論されてきた嫌いがある。例えば、ホロコースト研究では長らく、ユダヤ人ジェノサイドと戦争の関係は否定され、前者は戦争とは無関係な独立した犯罪と見られてきた。そもそもジェノサイドを戦争から際立たせること自体ジェノサイド条約制定者のねらいでもあった。しかし、近年の研究では第二次世界大戦とホロコーストの不可分の関係性が明らかとなり、東部戦線では対ソ戦そのものが「ジェノサイド化」した。戦争遂行を目的として、行為者によって恣意的に定義された人間集団の一部または全部を破壊する事例は、第二次世界大戦下のヨーロッパとアジア、ヴェトナム戦争やイラク戦争などでも頻繁に見うけられる。

 

●表1

行為
5つの行為
(身体的・生物学的ジェノサイド)
文化的ジェノサイド
対象
4つの集団(国民的、民族的、種族的、宗教的集団)
狭義のジェノサイド
広義のジェノサイド
行為者によって恣意的に定義・設定された集団
広義のジェノサイド
広義のジェノサイド