分科会の記録

*以下は、日本平和学会の春季研究大会および秋季研究集会で開催した「ジェノサイド研究」分科会の記録である。これらの研究報告は、日本平和学会ニューズレターに掲載されている。

第1回〔2006年11月11日〕

テーマ「ジェノサイドと国際刑事司法」

司会:
佐藤安信(東京大学)
報告:
石田勇治(東京大学)「ジェノサイド研究の課題と射程」
長有紀枝(東京大学)「“スレブレニツァ”をめぐる考察」
福永美和子(東京大学)「ICC創設に関するドイツの外交・司法政策」
討論:
篠田英朗(広島大学)

最初の報告者石田は分科会代表の立場から、ジェノサイドに関する内外の研究状況を振り返ったあと、分科会設立の主旨を次の4点にまとめた。①近代世界でジェノサイドが頻発する歴史的・構造的要因の分析、②ジェノサイドの実態研究(予兆現象、引き金・継続要因、言説・表象、暴力の連鎖、受益ネットワーク、難民化、大国・隣接諸国の介入など)、③ジェノサイド後の社会再建(和解、正義、被害者ケアなど)研究、④ジェノサイド予防のための国際的枠組みづくり。方法論としては歴史学、地域研究、国際政治を基盤とし、国際法、文化人類学、社会学、教育学等とも連携して、学際的平和研究分野を開拓・推進したいとの意思表明があった。

第二報告者の長有紀枝氏は、ジェノサイド事例研究の成果として、ユーゴ紛争の象徴的事件である「スレブレニツァ」を取り上げ、大量殺害の目的・要因・決定の時期、事前計画の有無、立案者と指示者、指揮命令系統、実行者、実行を支えたロジスティクス、紛争との連関などにつき報告を行った。スレブレニツァの特徴としては、安全地帯から徒歩で脱出したムスリム人男性の3 分の1が兵士であり、戦闘も行われた事実が評価されず、行方不明者数(7,500 名)とジェノサイドの推定犠牲者数(6,000 名)を同一視する言説が広く流布している点、ジェノサイドの理由としては、「民族浄化」「復讐」以上に、連続して発生した想定外の事象への対処という側面が強くある点が指摘された。

福永美和子氏は、ICC(国際刑事裁判所)の創設を支援する統一ドイツの外交・司法政策について報告した。福永は、①ドイツが、ローマ規程の策定過程において、強い権限を有する独立性の高い裁判所を求める立場から、重要な役割を演じたこと、②国内でも発展的内容をもつ関連法を制定し、ICC との協力や国内司法による対象犯罪の訴追を行う態勢を整えていること、③ICC 政策がナチズムの過去を踏まえた西ドイツ時代からの内政・外交上の営為を土台としつつ、政治規範の普遍化、旧ユーゴ紛争とICTY への協力、EU の共通外交安全保障政策との連動など、統一後の政治要因の影響を受けて形成されたこと、④第二次世界大戦後のナチ不法の司法追及とも連関していること、を指摘した。

討論では、篠田英朗氏からジェノサイド研究の意義と可能性を評価するとのコメントがあったが、本分科会が西欧的な視点からの研究に陥ることなく、現地の視線をも包み込んだ、独自のジェノサイド研究となること、また他のどの犯罪でもない「ジェノサイド」に拘ることの意味を常に確認しながら研究を進めて欲しいとの指摘があった。狭い会場ではあったが、満席になるほど多数の参加者を得て、盛会のうちに終了した。

(石田勇治)

第2回〔2007年6月9日〕

司会:
石田勇治(東京大学)
報告:
清水明子(東京大学)
「バルカン複合民族社会における“エスニック集団”と“民族浄化”」
討論:
庵逧由香(立命館大学)

前回の分科会では研究上の理論的枠組みをめぐる諸問題を論じたが、今回はその成果を引き継ぎながら、具体的な事例を掘り下げることを目的に、バルカン現代史研究者の清水明子氏に報告を、日本の朝鮮植民地支配を専門とする庵逧由香氏にディスカサントをお願いした。以下、清水氏の報告要旨を中心に内容を紹介する。

ユーゴ内戦はエスニック紛争とも表現され、その原因究明の試みにおいて、エスニック集団を本質主義的な観点から捉えることが多い。だが「エスニック集団」は集団間の関係性の中で規定されるものであり、時代とともに変化し、定義し直されるものである。バルカン地域では、「エスニック集団」間の関係が、歴史プロセスの中で複雑な置換性と重層性を抱え、「他者」の存在により自己を規定するという負の要素が強化されてきた。そして、大国の介入による支配・被支配の逆転、集団間の客観的な差異の乏しさも、排他的エスニシティの連鎖的な形成を促してきた。とくにその排他性は、「民族自決」を根拠とするネーション・ステートにおいて、「他者」を自己の発展の阻害要因と見なし、その排除を正当化し、「民族浄化」さえも「歴史的権利」と捉える傾向を助長してきた。それゆえ、紛争予防研究に向けては、政治的権利主体の形成のあり方を分析することが不可欠である。

本報告で取上げたクロアチアは、主権民族形成における極端な排他性が「民族浄化」に直結した典型的な事例である。たしかに1990 年代には、同国と戦略的利害関係を共有する国際社会の支援の下でクロアチア建国時の国家犯罪は不問にふされ、建国「神話」と自己アイデンティティは揺ぎなく見えたが、21 世紀になると、その「国民史」の中核的要素である「祖国戦争」が内包する犯罪性が国際社会によって追及されるようになった。クロアチアは、真相究明に対して国家を挙げて抵抗し、「国民史」を防衛する試みを行っている。

討論では、報告がジェノサイドよりも「民族浄化」という用語を中心に据えた意図が質されるとともに、ジェノサイド研究のひとつの柱である「文化的ジェノサイド」を精緻化した上で研究に資する可能性が示唆された。また本報告が強調する「加害者と被害者の歴史的置換性」という論点は、ジェノサイドを引き起こす行為者の形成を考える上で有用ではないかとの指摘があった。

(石田勇治)

第3回〔2007年11月10日〕

テーマ:日韓ジェノサイド研究の動向と課題

司会:
福永美和子(日本学術振興会特別研究員)
報告:
金東椿(聖公会大学)
討論:
石田勇治(東京大学)

ジェノサイド研究のなかで、近代のアジア地域で行なわれた虐殺や大規模な暴力は、未解明の部分が多い領域である。また、ジェノサイド研究に関するアジア諸国間の交流もまだ進んでいない。今回の分科会の趣旨は、こうした状況を踏まえて、韓国と日本のジェノサイド研究の動向を確認し、今後の研究交流の可能性を模索することにあった。

まず、金東椿氏が韓国の研究状況について報告した。同国では、民主化を背景として1990年代以降、済州島4・3事件、光州事件をはじめ第二次世界大戦後の軍事独裁政権や朝鮮戦争のもとで起きた虐殺や、日本の植民地支配下で行なわれた殺戮に関する研究が着手されるようになった。とくに2000年代に入って、これらに関する証言が収集されたり、海外の研究が紹介され、ジェノサイド学会が創設されるなど、ジェノサイド研究は大きな進展を見せた。そのなかで、4・3事件などがジェノサイドに該当するかについても議論がなされている。このように韓国のジェノサイド研究では、自国の現代史における国家的暴力の究明やそれに関わる政治的、社会的問題への取り組みが、中心的なテーマとなっている。「真実・和解のための過去事整理委員会」の委員としてこれらの活動に携わる金氏は、韓国のジェノサイド研究は、学術研究であると同時に、実践的な問題でもあると語った。

韓国における虐殺やジェノサイドを追究する上での重要な要素として金氏が挙げたのが、日本の植民地支配との連関である。第一に、日本は、植民地支配下で堤岩里虐殺、庚申大虐殺など多くの虐殺を行っており、同様の暴虐は後に関東軍による「満州討伐」や南京大虐殺で繰り返された。第二に、1945年以降に行なわれた国家的暴力には、日本の植民地支配との人的、制度的、方法的な連続性や類似性が存在し、植民地支配の遺産という側面がある。例えば、4・3事件や朝鮮戦争時の虐殺では、植民地期に日本によって訓練された兵士や警官が動員され、予防拘禁や拷問・虐待など、植民地体制下で日本が用いた手段が踏襲された。

第二次世界大戦後のグローバル・ポリティクスというより広い文脈のなかで、韓国におけるジェノサイドを捉え、インドネシア、ベトナム、カンボジアなど他のアジア諸国における虐殺や国家的暴力との国際比較を行う視点の必要性も指摘された。金氏は、とくに植民地支配から冷戦下の反共主義体制への移行という要因の重要性を強調している。

これらの事例を含めアジア地域における虐殺や非人道的暴力を比較検証することで、ジェノサイド研究に新たな視座を提示することが可能となろう。これに関して金氏は、国際法上のジェノサイド概念の狭さに言及し、アジア地域の事例では、人種や宗教よりも、むしろ政治的ファクターが大きな意味を持ったという見方を示した。

このような報告を受けて石田勇治氏は、日本のジェノサイド研究が、1970年代末の西洋史学におけるホロコースト研究に端を発し、90年代半ば以降に主として地域研究者によって行なわれてきた旧ユーゴスラヴィア、ルワンダ、カンボジアなどに関する紛争研究をへて、近年の学際的、総合的な研究へと発展してきた経緯を説明した。そして、ジェノサイドの定義の問題や、日本が植民地支配下で行った虐殺と南京虐殺等のつながりに着目する点などについて金氏の見解に同意し、関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺や日中戦争下の「戦時ジェノサイド」をはじめ日本が行なった大量殺戮の解明には、アジア諸国の研究者の協力が欠かせないと述べた。

その後、参加者から、グアテマラの先住民虐殺と4・3事件や光州事件との比較、ベトナム戦争で韓国軍が行った加害行為、豊臣秀吉による朝鮮侵略など前近代の事例、ジェノサイドとジェンダー犯罪との関連性などの問題が提起され、これらをめぐって熱心な議論が交わされた。

今回の分科会は、日韓のジェノサイド研究の現状や問題関心について相互の理解を深め、研究交流の端緒を開いたという意味で、大変興味深く、有意義であった。アジア地域で生起したジェノサイドやそれに類する非人道的暴力を実証的に解明し、それらを体系化、理論化していくことが、今後のジェノサイド研究にとっての課題である。

(福永美和子)

第4回〔2008年6月15日〕

司会:
福永美和子(元日本学術振興会特別研究員)
報告:
武内進一(日本貿易振興機構アジア経済研究所)
「ルワンダのジェノサイド-民間人の動員をめぐって」

分科会「ジェノサイド研究」では、ジェノサイドの実態研究をひとつの柱に据えて、世界各地で生起したジェノサイドの事例研究に取り組んできた。なかでもアフリカは、1994年にルワンダで大量殺戮が行なわれたほか、現在もスーダンのダルフール地方をはじめ、多くの地域で紛争やそれに伴う大規模な虐殺、人権侵害が発生しており、現代のジェノサイドを究明する上で、枢要な位置を占めている。そこで今回は、ルワンダにおけるジェノサイドについて武内進一氏にご報告をいただき、ルワンダを中心にアフリカ地域のジェノサイドをめぐる問題について検討した。

ルワンダでは、多数派のフトゥによって少数派のトゥチの虐殺が行われ、わずか3ヶ月間に穏健派のフトゥも含めて、人口の約1割に匹敵する50万以上の人びとが殺害された。また、虐殺に関与したとして「ガチャチャ」と呼ばれる地域レベルの裁判に召喚された人びとの数も40万人をこえる。武内氏の報告では、こうした「すさまじい暴力の噴出」がなぜ生じたのか、また大量の民間人が動員され、隣人の襲撃に加わったのはなぜか、に焦点があてられた。

従来の研究では、ハビャリマナ政権下でつくり上げられた全体主義的な管理体制が、このような大量動員と暴力の発露をもたらしたとする説が有力であった。武内氏はこのような見方が、大量虐殺を長年にわたる部族対立の帰結だとする「部族対立史観」に反論し、国家権力による犯罪であることを明確にした点で、一定の妥当性を有すると評価する。その上で、ハビャリマナ政権の統治能力は弱体化しており、未曾有の惨禍をもたらしたのは、国家による一元的動員というよりも、むしろ国家の破綻と内戦を背景とした多元的な動員であったとする見解を示した。政権が弱体化するなかで、トゥチ難民を中核とする反政府武装組織RPF(ルワンダ愛国戦線)と妥協した和平合意(アルーシャ協定)が結ばれると、これに反対する与野党の勢力が糾合し、急進派集団(フトゥ・パワー)を形成した。そして、ハビャリマナ大統領暗殺事件をきっかけに、暗殺をRPFの仕業とみなし、RPFとトゥチを同一視して、彼らを虐殺する動きが一気に広がったのである。

農村部での無差別殺戮を扇動したのは、地方行政機構の有力者や指導的インテリだった。武内氏は、現地での聴き取り調査から得られた証言をもとに、トゥチへの憎悪を煽るプロパガンダは、農村部にはそれほど浸透しておらず、虐殺の直前までフトゥとトゥチの人びとの間には共生関係が存在していたと述べた。武内氏によれば、人びとを殺戮に駆り立てる動因になったのは、憎悪ではなく、敵であるRPFへの恐怖と、虐殺を命令するフトゥの有力者の意向に逆らえば、不利益を被るかもしれないという身内に対する恐怖の「二つの恐怖」であった。

報告につづく討論では、ジェノサイドの実相や国際社会による介入、紛争後の社会状況などについて、多彩な論点が提起された。そのなかで武内氏は、冷戦終結後に民主化が国際援助の前提とされるようになり、多くのアフリカ諸国で複数政党制への転換が図られたものの、それが紛争の一因ともなっていることを指摘し、民主化に十分な準備期間を置くこと、移行期の政権の問題ある行動を過度に許容しないことの両面に配慮しつつ、国際援助の適切な基準を策定すべきであると述べた。また、虐殺を裁く裁判は、主導的人物を対象とするICTR(ルワンダ国際刑事裁判所)にせよ、ガチャチャにせよ、RPF側の犯罪が扱われないなどの問題をはらみ、必ずしも和解にはつながっていない実状などにも言及した。

分科会は30名以上の参加者を得て盛況で、充実した議論が行なわれた。膨大な犠牲者を生み出す虐殺の発生は、アフリカの他の地域にも共通する現象であり、国家の破綻に着目した武内氏の議論は、その要因やダイナミズムを解明するための重要な視座を提起するものである。ルワンダのジェノサイドについては、虐殺に加担した人びとの行動や動機、国連や隣国の関与が及ぼした影響など、なお不明な点も多く、実態調査に基づくいっそう精緻な研究が求められている。

(福永美和子)

第5回〔2008年11月23日〕

司会:
石田勇治(東京大学)
報告:
吉村貴之(東京外国語大学)
「アルメニア人虐殺」

分科会「ジェノサイド研究」では、2008年度春季研究集会に引き続き、ジェノサイドの具体的な事例を検討した。今回は吉村貴之氏に報告を依頼し、第一次大戦中、1915年4月にオスマン帝国下で始まったアルメニア人の追放と虐殺をテーマとして取り上げた。

オスマン帝国下でのアルメニア人の追放と虐殺は、アルメニア近現代史上最大の事件と目されている。しかし、この事件のとらえ方をめぐってはアルメニア人社会とトルコ政府の間で合意が全くなく、いまだにアルメニア=トルコ間の政治問題となっている。そのため、研究者も自らの政治的立場を立証する議論に陥りがちであり、V・ダドリアンを中心とする欧米のアルメニア系の研究者がこれを「ジェノサイド」だったと主張する一方、E・ウラスらトルコ人研究者はことの発端を「アルメニア人のテロリズム」に求め、虐殺の事実そのものを否定している。

アルメニア人虐殺が、宗教に基盤をおく多民族多宗派帝国であったオスマン帝国がトルコ共和国という国民国家に転換する過程で起こった事件であることは論を俟たない。とはいえ、第一次大戦前夜、パン・テュラン主義という人種イデオロギーは「統一と進歩」委員会(青年トルコ党)の関係者に確かに浸透しはじめてはいたものの、なぜとりわけアルメニア人が移送や虐殺の対象となったのかについては、潜在的第五列を排除するというロシア攻略上の必要性や、戦争遂行のための労働力確保という戦略的要因を考慮しなければ説明がつかない。この点で、第一次大戦中の事件は、総力戦という軍事的要請の下で政府が住民を選別したうえで移送・殺害したものであったと考えられ、自然発生的で民族紛争の色彩の強い19世紀末のいわゆる「第一次アルメニア人虐殺」とは性質を異にする。なお、第一次大戦中のアルメニア人虐殺に、ドイツ人軍事顧問団の関係者が影響を与えたと思われる点は興味深い。顧問団の軍人がエンヴェルやタラートら「統一と進歩」委員会に与えた指示は現在のところ具体的に確定されていないが、アルメニア人に対する措置が単にオスマン帝国首脳部による絶滅政策だっただけでなく、顧問団の要求でもあった可能性を示唆する事実もある。

吉村氏の以上の報告に引き続いて行なわれた質疑応答では、参加者からコメントや質問が活発に出され、時間を超過するほどに熱心な議論が行なわれた。主要な論点のひとつは、ジェノサイド条約の規定に照らして考えた際にアルメニア人虐殺をジェノサイドと認定しうるかという問題である。吉村氏は、特定の住民の選別と殲滅への意図がオスマン帝国にあったことは、総力戦下で労働力としての有用性を基準に住民が選別されたこと、西欧への情報伝達を恐れて移送の対象をアルメニア正教徒に限定したことなど、いくつかの傍証から確認できるとした。

そのうえで吉村氏が指摘したのは、アルメニア人虐殺が国際法上ジェノサイドにあたるかどうかという判断以上に重要なのは、虐殺の全体像の解明だということである。事件前後の事実関係には今も不明な点が多く、アルメニア人虐殺の全容は十分につかめているとは言いがたい。議論の二つ目の焦点となったのは、事件の実証的検証に関わるこうした問題だった。たとえば「移送」と「殺害」の境界について考えてみても、移送の際に大量の犠牲者が出たことは確かだが、現在の研究状況では、バグダット鉄道建設の労働力確保のための移送の対象者、直接的な暴力行為による死傷者、悪条件下での衰弱等による犠牲者の割合はそれぞれどの程度だったか、当初から殺害する意図があったのか、それとも官憲による移送に対してアルメニア人が抵抗するなかで殺害にいたったのか、などの個別の問題に対して正確に答えることは必ずしもできない。事件の背景をなすイデオロギーとして指摘されることの多いパン・テュラン主義についても、その影響力の大きさ、時期的な変容の様相、アルメニア人以外の非トルコ系住民に対するオスマン帝国首脳部の態度などがより精密に検証されなければならない。

問題は、こうした未解決の点に対して、現状では必ずしも冷静な議論がなされていないことである。その原因はこの問題を取り巻く国際状況にある。2005年9月には欧州議会がトルコのEU加盟の条件として歴史認識上の問題の解決を要求した。近年、トルコでも、対アルメニア経済封鎖の緩和、アルメニア人虐殺をめぐる言論への表立った弾圧の弱まりなど、融和への兆しともとれる動きが見られる。しかし、1970~80年代のアルメニア人過激派によるテロ活動以来、反アルメニア宣伝を繰り広げてきた経緯や「兄弟国」アゼルバイジャンへの配慮もあって、トルコがすぐに謝罪、和解へと向かう状況にはないことは吉村氏も指摘していたとおりである。また、出席者のコメントとして近年のアルメニア事情の紹介があり、政治的、経済的配慮からアルメニア新政権にもトルコとの融和を求める傾向が見られるが、国民感情の点でアルメニア側にも難しい問題が残っているという指摘があった。

20世紀の大規模化した大量殺戮を現代ジェノサイドとよぶならば、アルメニア人虐殺は、時期的にその原型ともみなしうるものであり、世界史上も重要性が高い。トルコ=アルメニア間の最大の歴史問題として政治的に扱い難い問題であるからこそ、第三者の手による解明が必要なのではないかという吉村氏の意見が印象的だった。

(川喜田敦子)

第6回〔2009年6月13日〕

司会:
福永美和子(東京大学)
報告:
「ホロコーストの犠牲者をめぐる諸相―生存者の心の問題とナチズム後の社会」
猪狩弘美(東京大学大学院総合文化研究科・博士課程)

本分科会は、ジェノサイドの発生・展開のメカニズムや歴史的背景を究明すると同時に、ジェノサイドが終息した後の社会再建やジェノサイドの再発防止と予防に向けた方策の探求にも取り組んでいる。そのような観点から、今回はジェノサイドの被害者をテーマに取り上げ、ナチ・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人虐殺)の被害者、なかでも強制収容所に収容された人びとに焦点をあてた猪狩弘美氏の報告を中心に検討、議論した。

猪狩氏は、被害者がナチの絶滅政策をどのように体験し、それが彼らのその後の生活にどのような影響を及ぼしたのかを、第二次世界大戦後の社会状況とも関連付けながら、主として精神面に重点を置いて論じた。報告のなかで最初に言及されたのは、移送・収容に伴うショックや、絶滅収容所での極限状況に適応し、生き延びようとするなかで生じた「無関与感」、「無感情」、収容所外の世界への関心の喪失など、被害者が陥った特異な心理状態である。

ナチ体制の崩壊とともに被害者は収容所から解放されるが、彼らの苦境にピリオドが打たれたわけではない。迫害の対象とならなかった多くの市民のホロコーストへの無知や無関心、空襲や追放など戦時下で自分が受けた被害や苦難を強調する風潮、強制収容所の被収容者を犯罪者と見る偏見、重苦しい過去を思い起こさせる被害者に対する嫌悪や反感などがしばしば見られた戦後の社会状況も、生存者にとって過酷なものだった。

ナチ支配の被害者が社会の周縁に追いやられ、疎外されるなかで、生存者には緊張状態やパニック発作、トラウマに起因する慢性の悲哀感情、精神的衰弱などの様々な精神障害が現れ、ときにそれは被害者の子や孫の世代にまで及んだ。ドイツ出身でナチ時代に米国に亡命した精神分析医ニーダーランド(William G. Niederland)は、これらを「サバイバー症候群」と名付けている。しかし、ナチ・ジェノサイドが被害者にもたらした精神障害が認知されるようになるのは1980年代以降のことであり、1950~60年代の精神医学では、心的外傷体験と後遺障害の関連が仔細に検証されることはなかった。そのことは例えば、西ドイツの連邦補償法に基づく鑑定で、精神障害とナチの迫害との関連が容易に認定されず、多くの被害者が補償の対象から除かれるという事態にもつながった。

ナチ・ドイツによる迫害や強制収容所への収容という体験について戦後どのような態度を取ったかは、個々の被害者によって様々であるが、ジャン・アメリー、プリーモ・レーヴィら収容所から生還した知識人の著作からは、彼らがホロコーストという想像を絶する出来事を理解し、究明しようと苦闘してきたことが読み取れる。彼らは、死者に代わって事実を語り伝えねばならないという思いを抱く一方、ホロコーストは証言し得ないものを含むと自覚しており、また自らが生き残ったことへの罪悪感に苦悩した。ナチによる迫害はさらに、ナチが定めた定義を基準に自らをユダヤ人と認識していなかった人びとにもユダヤ性が強制されたこと、ドイツやオーストリア出身の被害者にとっては、自己が帰属してきた社会や文化が未曾有の犯罪を引き起こし、自身が排斥の対象とされたことなどから、アイデンティティをめぐる深刻な分裂や葛藤ももたらした。

これらの考察をまとめて猪狩氏は、ナチによる迫害や強制収容所への収容が、解放後も長く生き残った被害者の人びとの人生を規定し、彼らの苦しみが更新され続けていくプロセスが存在したと述べた。

報告を受けて行なわれた討論では、とりわけルワンダや旧ユーゴスラヴィアをはじめ、現代のジェノサイドの被害者の救済やケアにいかに取り組むことができるかという問題関心から、ホロコーストと今日のジェノサイドの被害者が抱える後遺症や困難との共通点や相違点は何か、ホロコーストの被害者は加害の主体をどう捉えていたのか、被害者に関する研究が平和研究、とくにジェノサイドの再発防止の観点からいかなる貢献をなしうるか、などをめぐって質疑が行なわれた。そのなかで、ジェノサイドに関する被害者の語りや叙述は、少数の知識層の被害者によって行なわれる傾向があり、苦しみの大きさや、表現の手段や場を持たないために語ったり、書いたりしない、あるいはそうできない被害者も多くいることに留意しなければならないという指摘もなされた。

1980年代後半以降、ホロコースト研究は飛躍的な進展を遂げたが、欧州各地で行なわれた大量虐殺の実態、ナチ・ドイツの支配機構や暴力装置の解明と比較して、被害者や彼らが置かれた社会環境に光をあてる研究は後れている。今回の分科会では、ジェノサイドの深淵に直面した被害者の視点に立った研究を通じて、ナチ・ジェノサイドや戦後ドイツの「過去の克服」に関する研究の間隙を埋めると同時に、今日各地で生起している様々なジェノサイドや非人道的暴力の被害者についての研究とも連携し、相互に知見を共有していく必要性を確認することができた。

(福永美和子)

第7回 〔2009年11月29日〕

司会:
石田勇治(東京大学)
報告:
「国連における『ジェノサイド予防』システム構築への取り組み―その課題と展望―」
渡部真由美(東京大学大学院総合文化研究科・博士課程)

本分科会では、1. ジェノサイドを引き起こす歴史的、構造的要因、2. ジェノサイドの発生、展開から終息にいたるプロセス、3. ジェノサイド後の正義の回復や社会再建、4. ジェノサイドの予防、という4つのテーマに取り組んでいる。これまでの分科会では1~3を取り上げてきたが、今回は国連やNGOで人道支援に携わった経験をもつ渡部真由美氏を報告者に迎え、4について議論した。

渡部氏は、1. ジェノサイド予防に関する国連の取り組みの歴史的経緯、2. 国連システムが抱えるピットフォール(欠陥)、3. 国連によるジェノサイド予防と「保護する責任」概念の関連、4. 国連ジェノサイド予防特別顧問室の設立と最近の動向、という4つの観点からジェノサイド予防に向けた国連の取り組みを検討し、最後に今後の課題と展望を述べた。

まず歴史的な歩みを見ると、国連憲章で国連が国際の平和と安全を維持するための措置を取ることが定められているのに加えて、1948年に結ばれたジェノサイド条約では、国連がジェノサイド予防に果たすべき役割が明記された。また、国連人権委員会の補助機関である国連差別防止・少数者保護小委員会でも、ジェノサイド予防をめぐる議論が続けられてきたが、冷戦期には東西対立のもとで国連は機能不全に陥った。冷戦終結後、国連の平和維持活動は増大し、活動内容も紛争への対応からその予防や平和構築へと質的変化を遂げるが、ルワンダやボスニアなどでのジェノサイド予防の失敗によって国連への期待は失望へと変わる。このような経過をへて2004年、国連ジェノサイド予防特別顧問が任命され、ようやくジェノサイド予防をめざす実質的な活動が開始されることになった。

国連がこれまで大規模なジェノサイドの発生を防げなかった要因について渡部氏は、国連システムが、第1に、事務総長の権限が限定的で、執行機関である安全保障理事会に対する影響力も限られている、第2に、幅広い任務と比した人員不足に加えて、事務局職員の多くは必要な専門知識や現場経験に乏しく、紛争地でも外の世界とのコミュニケーションを欠きがちである、という政治的、構造的「ピットフォール」を抱えていることを指摘した。

国連におけるジェノサイド予防システムの形成と関わる動きとして注目されるのが、新世紀に入り、ジェノサイドや人道に対する犯罪等の被害者を「保護する責任」が提唱され、それに基づく国連の積極的介入が求められるようになったことである。2001年に発足した「介入と国家主権に関する独立国際委員会(ICISS)」の報告書で掲げられたこの概念は、介入主体に焦点をあてた「人道的干渉」に対し、保護される側へと焦点を移していること、主要な担い手を国家とし、国家が失敗したり、保護の意思がない場合に安保理が担い手となること、さらに、人道危機に対する対応、予防、再建までを含む幅広い責任を意味していることなどの特徴をもつ。

人道危機に対する責任をめぐるパラダイムがこのように転換するなかで、国連はアナン事務総長のイニシアティヴのもと、ジェノサイド予防のための制度形成に着手した。2004年4月に、ジェノサイド予防に関する行動計画が公表されたのに続いて、同年7月、ジュアン・メンデスが初代の国連ジェノサイド予防特別顧問に任命され、特別顧問室が設置された。特別顧問は、ジェノサイドに関する情報収集や、安保理への早期警報、行動計画の提言などの任務を負う。

専門部局の開設によって、国連はジェノサイド予防システムの構築に向けた画期的一歩を踏み出したと言えるが、多数の国連機関やNGOが早期警報に関する活動に従事し、マンデートが重複していること、ジェノサイドの兆候を察知した場合にどの段階から早期警報の対象とし、活動の対象地をどのように選定するか、5大国の「政治的意思」をどのように調整するか、などの難題が存在する。

これらの難題の解決に向けて今後取りくむべき課題として渡部氏は、事務総長と特別顧問のリーダーシップ、常任理事国(5大国)との連携とそれらの強力なコミットメントの確保、国連の諸部局間や国連と「国連ファミリー」間の横断的連携を可能にする制度改革、国際刑事裁判所(ICC)の機能強化と刑事訴追の徹底を通じて、国連が抱えるピットフォールを克服することのほか、国連信託基金の活用などによる実質的な予防手段の模索、ジェノサイド予防の行動計画を実施するためのロードマップの策定と実施についてのフォローアップ、特別顧問室の機能強化、市民社会等とのクロス・セクター連携などを提言した。

報告を受けた討論では、人的、財政的な資源の限られた特別顧問室でジェノサイド予防に関わるすべての任務を担うのは難しく、むしろ顧問室は媒介者の役割を務め、NGOなどに任務を外部委託することが現実的ではないか、また、「保護する責任」論について、責任の意味が曖昧で軍事介入を招く危うさをはらんでおり、ジェノサイドに対する国家の責任の適切な解除の仕方を考える必要がある、といった見解が提起された。

国連及びNGOでの実務経験に裏打ちされた視点から、ジェノサイド予防をめぐる国連の取り組みを詳細かつ包括的に検証した渡部氏の報告とその後の討議を通じて、国連による取り組みの最新の動向とそれが直面する現実的課題について知ることができた。ジェノサイド予防は国際社会の急務であり、国連をはじめとする国際機関やNGO、紛争現場の実践的な知見を取り入れながら研究を進め、予防システムを支える知的基盤の拡充に寄与していくことが重要であると感じた。

(福永美和子)

第8回〔2010年6月19日〕

司会:
石田勇治(東京大学)
報告:
東ティモールとルワンダにおける混合型移行期正義システム―構成的ローカライゼーションによる比較分析
クロス京子(神戸大学大学院法学研究科・博士課程)
討論:
渡部真由美(東京大学大学院総合文化研究科・博士課程)

本分科会では昨年秋に引き続いてジェノサイド予防をテーマとし、東ティモールとルワンダの事例の比較に基づいて、国際的でグローバルな規範・制度と現地のそれを融合させた混合型移行期正義システムを論じたクロス京子氏の報告を中心に討議を行った。

まず、移行期正義をめぐる近年の動向を概観したクロス氏は、その概念・目的・手法が拡大、多様化して移行期正義が「道具箱」化し、個々の事例に応じて複数の制度や手法を組み合わせた包括的アプローチが取られるようになっていること、また、紛争形態の変化や住民のオーナーシップを重視する平和構築の戦略を背景に、紛争が起きた地域の規範、信条、慣行などに依拠したローカルな正義システムが用いられ、ローカル、そしてグローバルな規範を合わせもつ混合型移行期正義システムが創出されるようになっていることを指摘した。

そうした動向を踏まえて同氏は、伝統的な民衆法廷をモデルとする「ガチャチャ法廷」を導入したルワンダと、同じく伝統に根ざした紛争解決法に依拠する「コミュニティ和解プロセス(CRP)」を採用した東ティモールの事例を取り上げ、二つの混合型移行期正義システムの形成プロセスを比較・検討した。それによれば、前者はルワンダ政府が主導し、住民は制度形成には関与していないのに対し、後者では市民グループや国連人権部が中心となり、住民の参加も認められるという違いがある。また、ルワンダでは制度として裁判を取り入れ、責任追及、和解、真実究明を目的としているのに対し、東ティモールでは真実委員会が選択され、和解や社会の再統合を主眼としている点でも異なる。クロス氏は、移行期正義のローカライゼーション(国際規範の選択的受容・再解釈)は、すぐれて政治的プロセスであり、そこでは国内エージェントに加えて、ローカルな正義を理解・解釈する「翻訳者」として人権規範や刑事手続きの受容を支援したり、国内の政治エリートの包括的恩赦を阻止したりするトランスナショナルなエージェントも重要な役割を担うと総括した。

続いてコメントを担当した渡部真由美氏は、近年重要性が認識されながらまだ体系的研究がなされていない移行期正義の問題を包括的な視点から検証・考察している点に、まずクロス氏の報告の大きな意義があると評価した。そして、和解や癒しという言葉が曖昧な意味のまま様々な場で多用されているが、それらの意味する内容や集団レベルでの和解や癒しの進展について述べる場合の評価の根拠などを検討する必要がある、紛争の根本的な原因に対処しないまま和解という言葉のもとに決着を図ることは、くすぶる火種の上に美しい絨毯を敷くようなもので、些細なきっかけで再び紛争が燃え広がる恐れがある、トランスナショナル・エージェントの果たす役割についての研究が不十分で、その行動の余地を検討する必要がある、といった見解を述べた。渡部氏が移行期正義に携わる実務者への提言を求めたのに対してクロス氏は、長く支援に携わってきた国際的なエージェントが現地の人びとの要望に耳を傾けたことで、両者が当事者のニーズに即して協働するパートナーシップが生まれた東ティモールの事例を、参照し得る例として挙げた。

続いて行われた討論でも、ガチャチャ法廷の活動はどう評価されているか、国際社会におけるジェノサイド概念の定義や用い方が不明確ではないか、現地の事情を反映した移行期正義は重要だが、各地域における正義の実現のされ方が不統一になることに問題はないか、といった多くの問いや見解が提起された。

混合型移行期正義システムは、グローバルな正義システムの適用が難しい地域における正義の回復に道を開き、個々の紛争地の実情により適合した対応を可能にすると期待される。しかし他方で、国際的な人権規範や重大犯罪の処罰は軽視されがちで、いかにして普遍的な規範や制度との折り合いをつけたり、様々な地域的正義システム間の統一性を確保していくかという問題を浮上させる。実際、ルワンダでは、紛争後に権力を掌握したルワンダ愛国戦線(RPF)側の犯罪が訴追の対象から除かれたり、ガチャチャ裁判の実施を通じて政府の権威・管理が強化されるといった状況が生じた。また法廷の活動も、膨大な数の容疑者が未決拘留されている事態の早期解決という点では成果を上げたものの、必ずしも大量虐殺に関する真相の究明や被害者の救済に十分に貢献したとは言えず、本来の目的の実現には遠い状況にあることも指摘された。

クロス氏の報告は、地域や制度の異なる二つの混合型移行期正義システムの比較を通して、その利点・成果や問題点、それぞれに固有の特徴や共通のメカニズムを浮かび上がらせ、重要な論点を提供した。こうした研究は、現在多くの地域で実践されている紛争からの復興にも、多くの示唆を与えるだろう。ジェノサイド後の社会再建や再発防止に深くかかわる移行期正義の現状を把握し、その課題や発展の方向性を探求するために、ルワンダ、東ティモール以外の地域も含めた事例研究やそれらの比較と理論化の試みがいっそう進展することが期待される。

(福永美和子)

第9回〔2010年11月6日〕

報告:
ジェノサイドに関する研究史の検討―ジェノサイド予防に向けた学術的運動の拡がり
澤正輝(早稲田大学大学院政治学研究科・博士課程)
コメンテーター:
増田好純(東京大学)
司会:
石田勇治(東京大学)

本分科会では、過去2回に引き続いてジェノサイド予防をテーマとし、ジェノサイドの克服に向けた研究史とジェノサイド教育の事例について論じた澤正輝氏の報告を中心に討議を行った。

まず、ジェノサイド研究の展開に言及した澤氏は、ポーランド出身の法学者レムキンがジェノサイド概念を考案した1940年代の成立期、1970年代後半以降の揺籃期を経て、1990年代半ば以降に飛躍的な発展を遂げたものの、現在は第一にジェノサイドとは何か、第二にいかにしてそれを予防するかをめぐって研究者の間に意見の対立が見られ、ジェノサイド研究は成熟に向けた過渡期にあるとする見解を示した。

澤氏によれば、二つの論点うち第一のジェノサイド概念をめぐる論争は、(1)ジェノサイドを行う意図とは何を指すのか、(2)集団を抹殺する主体は誰(何)か、(3)抹殺の対象となる集団とは何か、(4)抹殺とは何を意味するのか、という4つの問いに整理することができる。また第二のジェノサイド予防の方法については、早期警報システムと政策決定者へのロビー活動に力点を置く「対処型」と、平等や貧困といったジェノサイドの根本的な社会要因を取り除くことを重視する「根治型」の二つのアプローチが存在する。

澤氏は、これら二つのアプローチを結び合わせて理論化を図っていくことが、持続可能なジェノサイド予防に向けた課題であると述べ、そのためにまず、なぜジェノサイドが起きたのか、なぜそれを防げなかったのかという二つの問いを区別すること、まだ蓄積の少ない「根治型」アプローチをめぐる議論を積み重ねていくこと、紛争研究や暴力研究などの隣接分野との結合を図ること、が必要であると指摘した。そして最後に、「根治型」アプローチに寄与する活動としてジェノサイド教育に焦点をあて、北米とカンボジアの事例について検討した。とりわけ、2004年にカンボジアのNGO「カンボジア資料センター(DC-Cam)」が中心となって発足させた「ジェノサイド教育プロジェクト」は、教師および高校生向けの教材開発や、教師を対象とする定期研修などを実施しており、ジェノサイドを経験した国におけるジェノサイド教育の試みとして注目されている。

報告を踏まえてコメンテーターの増田氏は、膨大な蓄積と広がりをもつジェノサイド研究を分析し、予防に資する研究の方向性を探ろうとする澤氏の研究が意欲的で高い意義を有していること、カンボジアの事例は西欧中心主義的な視点を修正し得るものであることなどを指摘し、ホロコースト研究の発展について補足的な説明を行った。その後、増田氏の質問に対して澤氏は、ジェノサイド研究を促進した要因の例として、北米で1970年代初頭に行われた学校教育のカリキュラム改革によって、ジェノサイドや人権がテーマ化されるようになったこと、冷戦終結後の国際社会で人権侵害への関心が高まったことなどを挙げた。また、ジェノサイドの比較研究に対する各国の学会の姿勢については、ホロコーストの経験をもつドイツが慎重であるのに対して、カンボジア、南米諸国などは積極的であるという違いがあると答えた。

続いて行われた討論ではこのほかに、ジェノサイド研究においてホロコーストが特権的な地位を占めていることがはらむ問題性や、中東や東アジアなどの事例も含めた網羅的な比較研究を行う必要性などが指摘された。また、日本におけるジェノサイド教育のあり方について澤氏は、公教育に導入するよりも、NPOやNGOを設立して実践的な場を設ける方が適切ではないかという見方を示している。

今回の分科会では、澤氏の報告をはじめ、ジェノサイド研究の発展過程や論点、対立軸が分かりやすく提示され、ジェノサイド研究の全体的な動向を理解することができた。ジェノサイド教育プログラムの開発という実践的な目標をもって研究に取り組まれている同氏の姿勢が、非常に印象的だった。現在も被害者や加害者の人びとが共存する社会のなかで、自国で起きた大規模なジェノサイドに関する教育を行うという困難な課題に取り組むカンボジアのプロジェクトは、先駆的で大変興味深い。それに注目すると同時に、日本におけるジェノサイド教育のあり方を模索していくこと、その際、日本を含む先進国と世界各地で起きているジェノサイドとのつながりをどのように示すか、あるいは、日本が過去に行った侵略戦争や植民地支配のもとで行われた暴力や、近現代の社会における少数派の人びとへの差別や人権侵害などのテーマをどのように取り込んでいくのかなどについても考慮することが、ジェノサイド研究の重要な課題であると感じた。

(福永美和子)

ページトップへ